パダン・パダン PADAM…PADAM (エデット・ピアフ Édith Piaf) シャンソン / 訳詞初稿 Sima

パダン・パダン PADAM…PADAM (エデット・ピアフ Édith Piaf) シャンソン / 訳詞初稿 Sima

本編は、江口純子氏のピアノ伴奏での2本立てとなります。 br Ver.1は、ワルツの曲を4Beatにアレンジしたもの、Ver.2は、原曲通りの3拍子でのパフォーマンスとなります。 br br 大戦の最中に一緒に暮らしていたピアニストのルベール・グランベールにより作曲されたものを、ある時何気なくピアフが”パダン・パダン”と口ずさんでいたのを聞いた作詞家のアンリ・コンテが、その言葉に刺激を受けて出来上がったという。 br 戦後1945年に「バラ色の人生」を発表したピアフは、この曲の爆発的なヒットでスタートを切った。 br 「谷間に三つの鐘が鳴る」- Les Trois Cloches (1945) br 「街に歌が流れていた」- Un refrain courait la rue(1946) br 「小さなマリー」- La p'tite Marie(1950) br 「愛の讃歌」 - Hymne à l'amour (1950) br と立て続けにヒット作を飛ばし続けて、1951年に「パダム・パダム」をリリースし、翌年にディスク大賞を受賞しいる。 br ちなみに”パダン・パタン”とはドアを叩く音とか、心臓の鼓動であるとか言われている。 br どちらで解釈するかで、訳詞や歌い方も変わりそうですね。 br br 彼女はシャルル・アズナヴールのデビューを手助けし、自らのフランス、アメリカでの公演旅行に同伴させた。アズナブールの他にも、イヴ・モンタン、ジルベール・ベコー、ジョルジュ・ムスタキなどピアフに才能を見出され、送り出された歌手はあまたに及ぶ。 br br ピアフの生涯の大恋愛はプロボクサーのマルセル・セルダンとの話が著名だが、セルダンは1949年に飛行機事故死していて、その知らせを受けたピアフはパニックに襲われるが、その夜のアメリカ公演で「愛の讃歌」を歌ったという。 br br 1951年にピアフは自動車事故に遭い、その後深刻なモルヒネ中毒に苦しんだ。 br 47歳になってまもなくの1963年10月10日、ピアフはリヴィエラで癌により死去する br br 私の歌は、ノリが悪くて聴き難いと思いますが申し訳ありません。 br br 訳詞・歌 Sima br Pf. 江口純子  br in 市川 ラ・メール br 訳詞 no.


User: chanson de Simacchi

Views: 3

Uploaded: 2018-08-17

Duration: 06:32