妻を恋うる唄 フランク永井 (作詞 岩谷時子 作曲 吉田正) 私撰・和シャンソン / Cover by Sima

妻を恋うる唄 フランク永井 (作詞 岩谷時子 作曲 吉田正) 私撰・和シャンソン / Cover by Sima

妻を恋うる唄 フランク永井 br 作詞 岩谷時子 作曲 吉田正 1965年に発表された作品だが、戦時中の出征兵士の妻によって書かれた詩を発見した岩谷時子が夫を妻に変えて、作り直したものと言われている。 br 1957年(昭和32年)有楽町そごうデパートのキャンペーンソングとして作られた「有楽町で逢いましょう」の爆発的ヒットで一躍スターダムに乗る。 br 本来は三浦洸一の吹き込み予定作だったらしいが、作曲した吉田正の強い希望で永井に回ったものと言われる。 br 「妻を恋うる歌」のあとも、「おまえに」 1977年(昭和52年)や「公園の手品師」 1978年(昭和53年)等の話題作も発表している。 br br 余談だが、ビクターのフランク永井に対抗して、テイチクレコードも山下清泉という青年に、洋風の芸名を付け新人歌手としてデビューさせ大々的に売り出したものの挫折。 br その新人歌手は廃業してシナリオライターに転向したが、その人物は何とジェームス三木であった。 br br フランク永井は、1985年(昭和60年)10月21日(当時53歳)、自宅の階段でロープを括り首吊り自殺を図り、数分後に永井夫人によって発見され、辛うじて一命は取り止めた。だが脳に障害が残り、会話が不全となり、記憶も乏しくなるなどの後遺症を患ってしまう。 br 一時は復帰もありそうな話もあったようだが、結局再起できずに2008年(平成20年)10月27日、東京の自宅で肺炎のため逝去。76歳没。 br 復帰を最後まであきらめずに、見舞いを重ねていた吉田正氏とだけは不思議なことに、会話が出来たという。 br br 参考(私選・和シャンソン) カヴァー曲 br  ワインレッドの心 br     br  見送った季節のあとで(by Sima) br     br  過ぎ去りし想い出は br     br  季節の中に埋もれて br     br  翌朝 br     br  歩きつづけて br     br  時代おくれの酒場 br     br  涙をふいて br     br  身も心も br     br  光る河 br     br  昔聞いたシャンソン br     br 仏語版 わかって下さい 「信じているよ」 br     br  酒と涙と男と女 br     br  小心者 br     br  黄昏のビギン br      br  街の灯り br     br  おんな道 br     br br Cover by Sima br Pf.


User: chanson de Simacchi

Views: 3

Uploaded: 2018-09-07

Duration: 04:49