行っておくれ VA T’EN 作詞・作曲・歌 エンリコ・マシアス Enrico Macias シャンソン / 訳詞初稿 Sima

行っておくれ VA T’EN 作詞・作曲・歌 エンリコ・マシアス Enrico Macias シャンソン / 訳詞初稿 Sima

行っておくれ VA T’EN 作詞・作曲・歌 エンリコ・マシアス Enrico Macias br 1962年24才の時の作品と言われていて、日本で発売されたアルバム「エンリコ・マシアス」1965年に収録されているが手に入らないため詳細は不明。 br 日本初と思われるこのアルバムには「遠くへ行きたい」「恋心」「消え去りし友」等を収録。 br 63年発売の海外4曲入りEP版に初収録された曲とも認められる。 br 1962年に最初に録音し、ヒットさせたデビュー曲「さらば、ふるさと」は、動乱のアルジェリアを離れる船上で作り、それ以来故郷と愛と平和を生涯のテーマとして世に問う歌手になることを決意したという。 br br 1962年10月5日、アルジェリア引揚者支援のテレビ番組に出演して「さらばふるさと」を歌い注目を集めて後、ABC劇場に出演し大成功を収めた。 br 63年「世界の子供たち」がボーイ・スカウトの歌として採用され、徐々にマシアスの名声は広まって行く。 br ‘66年「いつも心に」が大ヒットして、ヴァンサン・スコット賞を得る。 br 翌年の世界ツアーでは、初の日本公演を実現。 br 1960年代に、アダモとともに日本に新しいシャンソン・ブームを作ったのだが、 br マシアスが1967年4月にソビエトツアーのためモスクワを訪れていたとき、 あるホテルのエレベータの前で偶然に同時期に旅行をしていた日本のシャンソン歌手石井好子と出会ったと言う。 br マシアスは右手に怪我していて、それを見た石井好子は彼をマシアスとは知らず、気の毒に思い同行していた日本人の医師の部屋へ案内して、手当てをしてあげたそうな。 br この奇遇からかマシアスは日本進出への大いなる協力者を得ることになった。 その年の10月には、彼女の招きにより初めて日本を訪れ、公演を成功させている。 br また、その後何度も石井音楽事務所の主催でコンサートに来日した。 br br 参考 br 「パリに抱かれて」 br    br  「君の話をしておくれ」 br    br  「愛しあう二人」 br    br  「愛は生命」 br    br  「幸せに涙して」 br    br  「愛のおそれ」 br    br  「わかっているよ」 br    br  「いつでも歌を」 br    br br 訳詞・歌 Sima br Pf. 江口純子  br in 市川 ラ・メール br 訳詞 no.


User: chanson de Simacchi

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Uploaded: 2019-03-23

Duration: 03:53