ありがとうの唄 (Cover) 作詞・作曲・歌 吉 幾三 / 私撰・和シャンソン

ありがとうの唄 (Cover) 作詞・作曲・歌 吉 幾三 / 私撰・和シャンソン

ありがとうの唄 (Cover) 作詞・作曲・歌 吉 幾三 私撰・和シャンソン br 2001年8月発売のシングル。 br 私自身が本年77才の喜寿を迎えて、共感する部分の多いこの作品を唄ってみたいと思い、採りあげてみました。 br 演歌チックではありますが、ご本人の原点はフォーク&ニューミュージックであると公言しています。 br 私個人としては、れっきとした和シャンソンであると位置づけています。 br 1952年11月11日生まれということなので、本年66~67才か。 br br ・・・・以下、ウィキペディア(Wikipedia)より・・・・ br 山岡英二という芸名で1973年3月1日にヤンマーディーゼルのコマーシャルソング「恋人は君ひとり」を発売し、歌手デビュー。 br なんと、最初はアイドル歌手として売り出した・・・が成功しなかった。 br 1977年11月25日、吉 幾三と改名しフォークソング路線に移る。 br 自作の再デビュー曲「俺はぜったい!プレスリー」がヒットし、これを機とし映画化される。が、その後は低迷期を経て、コミックソングや演歌へと楽曲の方向性を探る。 br 1984年、同3月25日に千昌夫へ提供した「津軽平野」がヒットして作曲家としての才能が注目される中、同11月25日に千のプロデュースで発売された「俺ら東京さ行ぐだ」が大ヒット。 br 1986年2月25日、千昌夫からの「今さら正統派の演歌なんか売れるわけない」との大反対を押し切って発売した自作曲「雪國」が初のオリコン1位を獲得。 br 以後、発表楽曲をコミックソング歌手から本格的な演歌歌手へ路線変更し、現在に至っている。 br 演歌系では数少ないシンガーソングライターであり、大半を自ら作詞・作曲しており、特に出身地である「津軽」を題材とした曲が多い。 br 吉の父親は昭和天皇の面前で民謡を披露したほどの民謡の名手であるという。 br ・・・・・・・・・・・・・ br 長女は、反対されると思い密かにライヴ活動していた歌手のKU(クー)。 br 特に反対されることもなく、現在では父親の作品はもとより楽曲の提供もされて精力的に活動しているようだ。 br 吉自身は、故里への転居までは墨田区に住んでいて、錦糸公園等での地域のお祭りの野外ステージにも出演していて、両国に居た私も何度か聴きに行ったことがある。 br 確かに当時は、フォーク歌手の括りであった。 br br 参考(私選・和シャンソン) カヴァー曲 br  ワインレッドの心 br     br  見送った季節のあとで(by Sima) br     br 過ぎ去りし想い出は br     br  季節の中に埋もれて br     br  翌朝 br     br 歩きつづけて br     br  時代おくれの酒場 br     br  涙をふいて br     br  身も心も br     br  光る河 br     br  昔聞いたシャンソン br     br 仏語版 わかって下さい 「信じているよ」 br     br  酒と涙と男と女 br     br  小心者 br     br  黄昏のビギン br     br おんな道 br     br  愛のくらし br     br                  他 br br Covered by Sima br Pf.


User: chanson de Simacchi

Views: 44

Uploaded: 2020-10-22

Duration: 05:30