ミケランジェロ物語 史物語・外伝~入試には使えないかもしれない歴史にまつわる様々な雑学~

By : Yよび校

Published On: 2020-12-27

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02:13

http://blog.livedoor.jp/yusuke1138/

入試には使えないかもしれない歴史にまつわる様々なトリビアを紹介していくシリーズです☺

以下、世界史の窓より

ミケランジェロ
15~16世紀、フィレンツェとローマで活躍し、ルネサンスを代表する彫刻、絵画、建築を残している。

 本名はミケランジェロ=ブオナロッティ(Michelangelo Buonarroti 1475~1564)。
1475年、フィレンツェ近郊の村で役人の子として生まれ、13歳の時、父の反対を押し切ってフィレンツェのギルランダイオという親方の工房に入り、石工となった。
メディチ家の管理する古代彫刻庭園(ドナテルロがコシモ=ディ=メディチにプランを提出して設けられた)に出入りできるようになり、そこで見た古代の彫刻に見せられるようになり、少しずつ大理石を刻むようになった。
そのとき、メディチ家の当主ロレンツォ(イル=マニフィコ)の目にとまり、その館に住み込んで修業することが許された。
そこでメディチ家に集まる、フィツィーノやピコ=デラ=ミランドラなどの著名な人文学者から知的な刺激を受けたようだ。
フィレンツェはルネサンスの爛熟期を迎えていた。

「最後の審判」

 1533年、教皇クレメンス7世は、ミケランジェロにシスティナ大聖堂の奥の壁に「最後の審判」を描くことを依頼した。
1534年、58歳になっていたミケランジェロはフィレンツェを離れ、ローマに居を移した。
この年、ローマ教皇はパウルス3世(トリエント公会議の主催など対抗宗教改革を推進した教皇)のもとで作業が進められることとなり、1541年に完成した。
この壁画は、それまでにない巨大さと、ダイナミックな人物表現で人々を驚かせ、現代の見る人々をも驚嘆させている。
中央のイエスとマリア以外にそれぞれ十二使徒など聖書の登場人物を描いていると思われるが、説明的ではないので誰が誰であるかは結局はわからない。
なお、システィナ大聖堂の天井画と壁画は、1980年~94年に大規模な修復工事が行われ、その際にミケランジェロが制作した時期の色彩が再現されている。

東京・横浜の方↓

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